若い頃はどんな内容の本でも読めた(偏読はひどかったにしろ)のに、年を取ると共にどうしても受け付けられない本というものが出来てしまった。
どんなに出来が悪かろうと、最後の1ページまでは読むが信条なのだが、最近は途中で投げ出す本が多くなってきてしまった。
(最後までとりあえず読むという心持ちでいながら読めなかったのが前の記事の2作品)
投げ出す本には共通点があり、どの作品も精神的な痛みをテーマとしていた。
年を取っていろいろな経験を積んでしまったがため、心をいためつけられた経験があり、そういった内容の本を読むとフラッシュバックしてしまっているようなのだ。
実際はその手前で投げ出しているので、パニックになるようなフラッシュバックまではいっていないが。
そういう本を出版するなとはいわない。むしろ必要だとも思う。こうこう、こういう痛みがあるのだとひろく世界に知らせるためにも。
痛みを経験した本人が記してもいいし、言語化能力に長けた第三者が記してもいい。どちらでも、結果として、世界が痛みを知り、問題部分を改めていこうという方向にむかっていくのであれば。
ただ、私自身はそういうヒリリとした内容の本は読めなくなってしまった。
今は、お気楽で能天気な内容の本が読みたいと思う。
年寄りが時代劇(水戸黄門とか大岡越前とか)やら笑点やらが好きな理由が、自分も年を取ってきてわかってきた。
勧善懲悪のわかりやすさだとか、笑いだとかが欲しいのである。
苦だとか辛は、人生で散々味わってきたがために。