徒然なるままにその日暮らし

なんか書いてます

「慟哭」貫井徳郎

誘われたミスリーディングにまんまとはまってしまった。しかし、悪い気はしない。してやられたなあといったところ。「東西ミステリーベスト100」(文藝春秋、2012年)の「東=国内」編第93位。

【あらすじ】多発する幼女誘拐殺人事件の捜査は難航していた。犯人は警察をあざ笑うかのように「声明文」をマスコミに送りつける。捜査を担当する佐伯は、記者会見を開き、犯人を挑発するかのようにメッセージを発する。

以下、ネタばれあり。

事件の捜査にあたる佐伯刑事視点の部分と、犯人、松木視点による二部構成。

実はこの構成が曲者で、佐伯=松木なのだが、時間軸がずれている。このずれについては読んでいる時に気になりはするものの、せいぜい数か月程度だろうと勝手に解釈していた。実は大きな隔たりがあり、エンディングでふたつの時間軸はようやく交わる。そして明かされる佐伯が松木という衝撃の事実。

佐伯が追っていた事件、佐伯が松木となってから起こした事件。事件もふたつ存在する。

伏線は冒頭から忍ばされてあった。松木という人物の「胸に穴が開いている」という感覚の描写。これはタイトルの「慟哭」にもつながる。愛するものを失った時の感覚はまさに「胸に穴が開いた」ようで、その悲しみは「慟哭」としか言い表しようがない。

松木が娘を亡くしていることは早い時点で知らされる。彼は「慟哭」のあまり、娘の魂を取り戻す儀式のために同じ年頃の幼女を誘拐し続けていたというわけだった。

松木=佐伯の正体は、割と早い段階で示唆されている。松木が足しげく宗教団体の人々に、「どこかで見たような」と言われているのだ。彼らは松木が佐伯だった時代、彼が記者会見でさらした顔を見て知っているのだ。教団幹部に「娘を亡くしていますね」と言われて松木本人は驚いているが、何のことはない、佐伯が娘を失ったことは周知の事実なのだ。

終盤、担当刑事の娘を誘拐しようとしている部分は、犯人が佐伯の娘を誘拐しているのではと読めるように書かれており、読者は、ハラハラさせられる。実は、佐伯の娘はすでに亡くなっており、佐伯だった過去の時間と松木となった現代の時間とが誘拐未遂事件の点でようやく交差する。

先に起きた幼女誘拐殺人事件を捜査中に娘を失った佐伯が、離婚して松木姓となり、娘の魂をこの世に取り戻そうと、次々と娘と同じ年の幼女を誘拐する。魂を肉体に戻すことなど不可能で、結果、幼女たちは命を落とすだけとなり、娘の魂を取り戻そうと何度でも儀式を試みる松木の行動は、連続殺人を犯しているとなる。これが種明かしだ。

なんと!という驚きをもって迎えるエンディングだが、嫌な気はしない。こじつけ感もない。丁寧に練られたミステリーは、謎解きがされた時、すっきり爽快感だけが残るものだ。