徒然なるままにその日暮らし

なんか書いてます

「天使の囀り」貴志祐介

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い・気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

上記パートを目にして気分が悪くなった方にはお勧めしない作品。ミミズだとかムカデ、蛇といった長くてニョロリとした生物もしくは形状が苦手な方、集合体恐怖症の方も無理だろう。虫が苦手な方も回れ右した方がいい。

「怖い物見たさ」で読んでみようというのなら、それなりの覚悟をもって挑んでいただきたい。

【あらすじ】

新聞社主催のアマゾン調査に参加したメンバーが帰国後、次々と異様な死を遂げていった。死の直前、彼らは人格に変容をきたしており、死を甘んじて受け入れるようにして命を落としていた。

*以下、ネタばれを含みます。

「虫の居所が悪い」という慣用句がある。機嫌が悪い状態を言うもので、人間の体の中にいる虫の機嫌が悪いので宿主の人間の機嫌が悪くなるという考えだ。

「腹の虫がおさまらない」といった表現もあり、昔の人は人間の体に虫のようなものがいて、それらが人間になんらかの作用を及ぼしていると考えていたらしい。

実際、腸内細菌は腸内にいる虫のようなものだし、ウィルスもいて、これもまあ、虫のようなものだ。考えたくないかもしれないが、顔に棲むダニもいる。

こう書いてくると気分が悪くなってくるだろう。自分の体の中に別の生命体がいると考えるだけでむず痒くなるし、彼らが自分の体に害をなすとしたらそれは恐怖でしかない。

この生理的な嫌悪感だとか恐怖心をかきたててくるのが本作品。

アマゾン調査隊の死は、かの地で感染してしまった新種の線虫が原因だった。この線虫は宿主の恐怖心を快楽に変えるため、寄生されてしまったメンバーたちは自分が恐怖を覚える対象に自ら進んでいってしまうようになる。死に恐怖を覚える者は、逆に死に近い環境で最も強い快楽を覚えるといった具合に。この構造は麻薬の作用に似ている。

そもそも恐怖心というものは自分を傷つけるものから遠ざかろうとするための防御システムなのだから、その恐怖心を快楽に変化させられてしまうというのは、それこそ本当に恐怖でしかない。もうこの辺でぞぞっと背筋が寒くなるのである。

恐怖を快楽へと変えてしまう存在が生き物であること、その生き物が自分の体内にひそめるほど小さいとなると恐怖心は更に増す。目に見える物からは逃げられるが、目に見えないほど小さい物はどう逃げたらいいのかとパニックになる。逃げようがないじゃないかとあきらめてしまいたくなる。目に見えないほど小さなものが化学物質の類ならさほど恐怖心はわかないが、生物となるとパニックは最高潮に達する。内側から蝕まれていく恐怖というものだ。ほらもう怖い。

中盤あたりで線虫が登場してからはずっとぞぞぞとしながらページをめくっていた。クライマックス場面での寄生された人間たちの末路の姿なんぞ、筆者のあまりの描写力に本を燃やそうかと思うくらい気分が悪くなった。

気持ち悪いだとか怖いだとか言い並べたが、それはホラー作品として成功している証である。

救いがあるとすれば、エンディングだろうか。

脳に侵入した線虫について作者が「縫い目」と描写している箇所がある。「縫い目」と読んで、私は破れたものを縫い合わせているイメージを抱いた。破れたもの、壊れてしまったものを縫い合わせて修復している、そういう良いイメージだった。

生死にかかわる恐怖心を快楽に変えてしまうのはいかがなものかと思うが、もしこの作用がトラウマのような精神的な傷を修復する方に作用してくれたならと思ってしまったのだ。同じ考えを抱いた人物が蜷川教授であったのだろう。おや? 私もメサイヤ願望が??

それはさておき、エンディングでは、死に臨んでいる少年を救うべく、線虫が少年に与えられる。死への恐怖はなくなり、少年は線虫が聞かせる「天使の囀り」の幻聴を聞きながら死をむかえる。

線虫を与えた行為について善し悪しの議論はあるだろう。しかし、善悪は人間が作り出した人工物で時代と共に移り変わっていく。かつて善とされていたものは悪になりうるし、逆もまたしかり。

救世主ぶるわけではないが、目の前に苦しんでいる人がいたら、助けたいと思ってしまうのではないだろうか。まして自分が助ける手段をもっているとしたら。それが人間であるように思う。天使ではなく。