もう数日前なのだが、面白い配信があった。
チャット欄に打ちこまれたキーワードがゲームに反映されるというもの。
たとえば「敵」というキーワードが打ちこまれると敵が出現する。
コメントはゲーム画面に登場し、キャラクターが乗ることができる。
穴や棘のある場所では視聴者が打ったコメントを足場としてやりすごす。
コメントだらけのゲーム画面はカオス。
配信、視聴者参加型と、今時の要素を含んだ面白い試みだった。
ゲームとして面白い試みだったと思うのと同時に、考えさせられるところがあった。
自分が発した言葉が誰かを助けたり、妨げたりすることがあるということを見せつけられたと感じたのだ。
ゲームだったから、面白いで済んだ。
だが、現実では、何気なく発せられた言葉に傷つけられたり、励まされたりする。
励まされるのはいい。問題は、傷つける力が言葉にはあるということだ。
言葉の持つ力を知らない人が多すぎる。
物理的に怪我を負わせたりという力ではないかもしれない。
しかし、死に追いやられる人がいる以上、間接的にでも物理的な力を持っている。
ゲーム画面上に流れる文字列、言葉を見ながら、ああ、こういった形で、言葉というものが助けにもなれば妨げにもなるのだと追体験できるのであれば、言葉の力を身をもって知ることができるのではないかと感じたのだった。