徒然なるままにその日暮らし

なんか書いてます

コロンブスの卵の時代は終わった

「既存の枠組みにとらわれない考え方で問題解決に臨んだ経験を教えてください」

 

面接で問われた質問。

 

英語でいうところの「 outside the box」。

 

ない。

 

正直にそう答えた。

当然ながら、落ちた。

 

「既存の枠組みにとらわれない」人たちと一緒に仕事をしたことはある。

この手の人たちの頭はきっと四次元ポケット内にあるんだろう。常人には思いもつかない考えを思いつく。

 

一方で、違う意味合いでの「枠組みにとらわれない」人たちとも一緒に働いた。

こちらは、枠組みを破壊することで「枠組みにとらわれない」種類の人たちだった。

破壊するのは枠組みだけにとどまらない。社員の心身、人格、キャリアも何もかもすべて破壊しつくす。いずれ組織そのものも破壊へと導くだろうとみている。

 

だから、辞めた。

 

たちが悪いのは、彼らは自分たちをクリエィブだと思っているところだ。つける薬がない。

 

既存の枠組みは枠組みとして尊重しておきながら、それにとらわれずに新しいものを生み出すことと、邪魔だ、壊してしまえとでは、馬と鹿ぐらい差がある。

 

「枠組み」を破壊するといえばと思い出したのが、コロンブスの卵だ。

卵を立てろと言われて、卵の底をぐしゃりと割って立てたというあの逸話だ。

 

思いつきそうで思いつかなかったことをやってのけたという意味では「(卵を割らずに、という)枠組みにとらわれなかった」といえるのだろう。

 

卵を割ってしまったというのに、その意外性だけがもてはやされてしまった。

 

このコロンブスの卵理論で、世界は動いてきた。侵略、植民地支配、奴隷制度、戦争、環境破壊……いろいろな枠組みをひたすら破壊し続けてきた。

 

さんざん破壊しつくし、自分たちの住む環境が脅かされてきた今になって、やっと枠組みを破壊してきただけだったと人類は気付いた。

 

卵を割ることがクリエイティブで革新的だと考える時代は終わった。

 

卵を割らずに立てる方法を考える。その方法を思いつく人がこれからの時代をけん引していくのだろう。