答え。どちらでも死にます。
それはそうだろう。10トンもの重さのものがのしかかってきたら、人の体なんてひとたまりもない。
桜の花びらの10トンで死ぬというイメージは抱きにくいだろうが、死ぬには死ぬ。
という点に着想を得て書いた作品が「庚申夜話」の第2話「一夜桜」。(実質、第1話)。
「花びら」という言葉には「軽い」というイメージがあるため、そして実際、一枚一枚の花弁は軽いため、死をもたらす重さが想像しにくい。たとえ10トンと書いてあってもだ。
ここ何年かでようやく心の健康問題、メンタルヘルスに注目が集まってきた。とはいえ、まだまだ理解されてはいない。
何せ、心は目に見えない。体が不具合をきたしてようやく心が病んでいると気付く。結局、体という目に見える部分での不調から心の病を知らざるを得ない。本来なら、心だけが病んでいる状態で発見、治療していかなければならないところ。
繰り返すが、何しろ目に見えないので、心の不調にはなかなか気づけない。自分自身でも気づけないのだから、医者といった他人に気づけるはずもない。そもそも、自分で気づいていなかったら医者に診てもらおうとはならないので、医者が気づけようはずもない。患者は目の前にいないのだから。
ようやくと注目されてきた心の問題だが、まだまだ無理解の壁は高い。例をあげると、心だけが病んでいて体にはまだ不調をきたしていない場合だ。体に影響が出てくるようではだいぶ症状が進んでしまって手遅れになってしまうのだが、そうなるまで自分も見て見ぬふりをするし、自分自身がそうなのだから、他人は何をかいわんやである。体が動くなら異常なしとみなすし、弱音を吐こうものなら、気合をいれろと鞭うたれる。そうやって心は壊れ、体が壊れていく。
心も傷むし、痛み、壊れる。心の健康が体ほど大事にされないのはしつこいくらい繰り返すが目に見えないからだ。目に見えないものがどう壊れるというのか。花びらと同じである。
花びらは軽い、だから花びらでは死なない。心は見えないから存在しない、存在しないものが壊れるものか。そういう考えはすべて思い込みだ。
心もさんざん傷めつけられたら人は死ぬのである。