徒然なるままにその日暮らし

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「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン

ミステリーの次によく読むジャンルがSF、サイエンスフィクション。「星を継ぐもの」では、ミステリーとSFが同時に楽しめる。タイトルに「星」とある通り、宇宙を舞台とした作品。

本作品が発表された当時(1980年)に知られていた事実を下敷きに、謎解きにはロマンあふれる虚を織り交ぜ、「宇宙人」の在り方を通して人類への警鐘を鳴らす。「東西ミステリーベスト100」(文藝春秋、2012年)の「西=国外」編第26位。

【あらすじ】

月面調査隊の一行は、宇宙服に身を包んだ死体を発見する。しかし、死体はどの月面基地に所属する人物でもなく、その上、死亡したと思われる時期は5万年前だった。

*以下、ネタばれを含みます。

ミステリー作品としての謎は、第一に「チャーリー」と名付けられた死体の正体、第二にはなぜ月面で死んでいたのかの二点にしぼられる。

第一の謎、「チャーリー」の正体は物語の早い段階で「人間」=「地球人」と明かされる。この事実が次の謎をよびこむ。チャーリーが地球人だとすれば、5万年前と推定される死亡時期はどういうことなのか。5万年前、人類は月に到達していなかった。人類がいるはずのない5万年前の月でなぜチャーリーは死んでいたのか。第二の謎が展開していく。

チャーリーを地球人だと断定するプロセスはきちんと科学的に述べられている。死亡した時期の特定方法、炭素を用いた測定法も実際に用いられている方法だ。とんでもサイエンスでむりやりチャーリーを地球人と断定しているわけではない。だからこそ、科学の知識を持つ読者は作中の科学者同様、頭を抱えてしまうことになる。なぜ地球人チャーリーが5万年も前に月で死んだのか。

あらゆる分野のトップたちが集結し、謎に挑む。チャーリーの残した日記を解読するには言語学者の頭脳が必要となり、チャーリーの体を調べる生物学者、チャーリーが発見された場所を調査する地質学者。お勉強の科学は苦手だとしても、こうして謎解きの一環として科学知識を読み込んでいくのは楽しい。

日記の一部がカレンダーではないかというところから、文字や数字の解読が進み、チャーリーのいた場所が判明していくところは謎解きとして面白かった。カレンダーという日常生活の何気ない物が、そういえば月の天体活動に基づいているものだったと今更ながらに思い知らされた。身近なところに科学はひそんでいる。

チャーリーがなぜ月面で死んでいたのかという謎を残しつつ、物語は進む。月の表裏で様相が異なる(事実)理由は、核戦争による爆発物の堆積(虚)、木星と火星に存在する小惑星帯は(事実)、かつて存在していた惑星が月面からの兵器によって破壊された姿(虚)であり、チャーリーはその惑星ミネルヴァの出身である、などなど、事実と虚とが織りまぜになっていく。小惑星帯がかつて惑星だったかもしれない、その惑星に生命がいたかもしれないと考えるとワクワクしてしまう。もちろん、そんな事実は今のところ確認されていないし、この部分はあくまでもフィクションである。

調査は進み、やがてチャーリーはかつて存在していた惑星ミネルヴァ出身であると判明する。ミネルヴァには先住生命体が存在していたが、二酸化炭素の濃度が濃くなる危機的な状況を打開するため、彼らは地球の生物を宇宙船に乗せてミネルヴァまで運んできた。ミネルヴァに連れて来られた人類の祖先から進化したからチャーリーは地球人と同じ形態なのである。彼らは高度な文明をもち、地球上人類よりも早い段階で宇宙空間を制していた。だから、チャーリーは月に行くことが出来、そこで死んだのだ。第二の謎が一応、解決の日の目をみる。

一応と書いたのは、作中人物がどこかもやもやした物を抱えており、ここまで読んできた読者も同じくもやもやしてしまうからだ。小惑星帯から地球の月まで移動できるチャーリーたちがなぜ月で留まっていたのか。住んでいた惑星を失った以上、チャーリーたちは祖先のいた地球を目指しただろう。月まで来ることができたのだ、地球はすぐ目の前だったはずだ。第二の謎、チャーリーはなぜ月で死んでいたのかが再び頭をもたげる。

謎は、作中人物が宇宙空間に出て解決をみる。事件は現場へ足をむけてみないと解決できないを地でいくストーリー展開だ。サイエンスフィクションでありながら、ミステリーとしても王道の展開をみせる。

実は地球の月はかつてミネルヴァの月であった、というのが謎解きである。「あっ」と思う人の方が圧倒的多数かもしれない。しかし、実は、月がミネヴァの月であることはところどころで示唆されている。チャーリーは、月からミネルヴァの最期を目撃している。かつてミネルヴァの衛星であった月は、ミネルヴァの崩壊の衝撃で地球側へと飛ばされた。そこで地球の月となった、というわけである。月の自転はかつては速かった(事実)理由は、月はかつてミネルヴァの衛星であったから(虚)。ここでも虚実のないまぜが起こる。

チャーリーは地球で発生した生命体を祖先とし、ミネルヴァで進化した。だから地球人と同じ形態を持つ。彼らは宇宙を航行できるほどの文明を誇っていた。惑星ミネルヴァは崩壊し、その衝撃でミネルヴァの衛星であった月は地球側へと吹き飛ばされ、月にいたチャーリーは死体となって発見された。

美しいエンディングをむかえたところで、チャーリーは何者かという第一の謎が再び投げ出される。何をいまさら、地球人だと説明されているじゃないかという声が聞こえてきそうだし、実際、作中の人物が同じようなことを口にしている。

ここで驚愕の(物語としての)事実が明かされる。はるか昔、地球からミネルヴァに連れてこられ、そこで進化したチャーリーたちは、ミネルヴァ崩壊の衝撃で地球側に引き寄せられた月から地球にわたった。現在の地球人は実はチャーリーたちの子孫である。

約5万年前に発生したと考えられているネアンデルタール人の絶滅理由(事実)は、ミネルヴァ系地球人との対立(虚)である。なるほど、だからチャーリーは5万年前に死んだという設定なのかと、作者の作家としての技量に脱帽である。

すべての謎、伏線を回収し、ミステリーとしてもサイエンスフィクションとしても非常に美しいランディングを果たして物語は幕を下ろす。

こじつけもなく、とんでもサイエンスもない。物語として矛盾がないままエンディングをむかえるため、読後感は非常にすっきりしている。

ミステリーとしてサイエンスフィクションとして傑作であると同時に、本作は人類に対し、強烈な警鐘を鳴らしている。

惑星ミネルヴァは二酸化炭素の濃度上昇により危機に瀕したとある。現在の地球がまさに同じ状況にある。本作が発表されたのは1980年。現在、2024年。ちなみに作中の設定は2028年。

作者は作中、ミネルヴァ系地球人の攻撃性を指摘している。対立する二つの勢力は東西冷戦時代(1945-1989年)を彷彿とさせる。しつこいが、作品の発表は1980年、冷戦中のことだ。作者には東西対立の構造が頭にあっただろうと思う。

ミネルヴァ系地球人同士の対立は核戦争をもたらした。冷戦は一応終結したが、現在、地球上ではあらゆる対立が進行している。核兵器を使うぞなどという言葉も耳にする。惑星を破壊したミネルヴァ系地球人の姿がそのまま現代人類に重なる。

核戦争しかり、気候変動しかり、2024年の今読むと、ホラー作品のように背中が寒くなる。44年前に警鐘が鳴らされていたにも関わらず、我々は争い続け、地球を蝕み続けている。

ミステリーとしてサイエンスフィクションとして優れた作品であることは間違いない。だが、それだけにとどまらない。物語としては非常に口あたりがいいが、実は強烈な刺激、苦味を内包している。

最後に一部を引用する。

ダンチェッカー(生物学者)が現代人類はミネルヴァ系の子孫であると述べ、彼らがいかにして新しい環境、地球で生き延びてきたかを語った後の場面である。

「……われわれ人類は今、押しも押されぬ太陽系の支配者として、5万年前のルナリアンと同じように恒星間空間のとばくちに立っている……恒星宇宙はわれわれが祖先から受け継ぐべき遺産なのだ。ならば言ってわれわれの正当な遺産を要求しようではないか。われわれの伝統には、敗北の概念はない。今日は恒星を、明日は銀河系外星雲を。宇宙のいかなる力も、われわれを止めることはできないのだ」ー「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン、池 央耿訳 創元推理文庫

「祖先から受け継ぐべき遺産」が「星を継ぐもの」というタイトル回収となる。

「太陽系の支配者」として「敗北の概念はない」とはずいぶん勇ましいが、なんという驕り高ぶりなのだろう。

「宇宙のいかなる力も、われわれを止めることはできないのだ」とあるが、作中、惑星ミネルヴァは、誰の何の力にも止められなかったチャーリーたちルナリアン自身の力によって破壊された。受け継いだ遺産=地球がミネルヴァのように破壊されないことを強く祈るばかりだ。